「死と再生」について



尊敬する河合隼雄先生のお言葉を見つけたので
一部抜粋させていただきました。

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「昔話の深層」より (河合隼雄著)

昔話には「繰り返し」のモチーフが、よく現れます。
「〜しました」「〜しました」が延々と続いたりします。
これが失敗である事もしばしばです。
しかしこれはお話の中だけの出来事なのでしょうか?

我々の身の回りには何度も同じ失敗をしたり、
同じような苦難を味わっている人がいないでしょうか?

私はいると思います。いや、います。私だってそうです。
あるいは、この繰り返しが、世代間にまで及んでいる
場合もあると思います。

この原因が、無意識の領域に抑圧されたものであったり、
あるいは初めから無意識に内在されているものである場合、
意識がその事実を明確に認識しない限り、
この繰り返しは続くのではないでしょうか?
また逆に、意識が明確に認識した場合には、
何らかの変化が生ずるように思います。


ある昔話では、主人公が首を切られ、
ウサギの活躍によって首がつながるのですが、
これが逆さまに付いてしまい、再度首をちょん切って、
首を正しくつけることになります。

いわゆる「死と再生」のモチーフです。

実際の人生で首をちょん切ったら大変なことになるのですが、
首をちょん切ると同等の出来事を通して生まれ変わることも
あるのではないでしょうか?

桜は毎年咲きますが、一度散らない事には咲けません。
人間だって、世間一般には「死んだ」と思われるような
出来事を通してしか、
花を咲かせる=成長する=生まれ変わる、
ことができない場合もあるように思います。
これは内的世界では「価値観の崩壊と再生」だったりしますが、
同じような外的体験も伴なうように思います。

価値観の転換を教えてくれるのが自身の影であったりしますが、
それが「我々の克服すべき欠点を示している」のか、
「受け入れるべき意味のある生き方を示している」のか、
判断するのは難しいところです。
あるいは、そのひとつの判断材料が「繰り返し」に
あるのかもしれません。
正しく明確に認識するまで、何度でも繰り返すのです。

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私も何度か死んで生き返ったもんなぁ。。。

オバカだから何度も繰り返しましたよ(苦笑)

今でも繰り返してる部分はあると思うな。

少しづつ、
生まれなおして・変化して行ってるとは思うんだけど。



                            
(2005年11月mixi日記より)





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